つるこの備忘録

うつ病おんな、30から人生リスタートする

むかしばなし

今は昔のはなし。

今ならちょっと吐き出せるなって思った。

自分語り乙。

 

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昔、とある習い事をしていた。

それは幼稚園からズルズルと続けていて、気がついたら社会人になっても続いていた。

 

幸せな習い事ではない。ほぼ惰性と過去味わった楽しさへの執着で続けていたようなものだった。

安くない月謝、年々上がる会費、グレーゾーンで収入がほぼない弟の代わりに払う分、それに伴って趣味や友人交流との予算を削ること。

さらには当時、父が躁鬱状態で安定しなかったし、出勤時間帯が毎朝地獄のようで、少しずつ精神が蝕まれてきた頃だった。

 

わたしが発表会でちょこっと話す程度の仲のAさんが精神安定剤を飲み始めた、と先生が言った。

わたしは最初、半分程度に聞いていた。もともとAさんは落ち着きがなくて、おそらくうちの弟みたいにグレーゾーンなのかな、と思っていたからだ。

先生は「薬で強制的に云々……で、Aさんの元気がないのよ」と、その日を境に2週間に1回は話してきた。他の日は当時一緒にやってた弟のやっちまった話で、常に申し訳なさとジレンマを抱えていた。そこにAさんの話が加わったのだ。

その日から、先生はわたしに【薬は悪だ】とでも言うようなほどその話をしてきた。

 

薬は全て悪いわけではない。わかっているが、そのとき、まだギリギリを保っていたわたしはその話が苦痛でならなかった。

薬による豹変ぶり、他人に聞かれたくないだろう家族の話がAさんの気づかないうちにわたしへ流れてきた。きつかった。一生懸命生活しているAさんを、まるで悲劇の登場人物のように語るその声が。

(豹変といっても、今までのせわしない口調やパニックになりやすいタイプだったのが、沈静化したということだし)

エゴで心のそこから心配してる恐ろしい「無神経な善意」は、わたしの心を蝕んでいくのにそう時間はかからなかった。

 

「ご両親は通院代は自分で出しなさいって、Aさんを親戚の会社で働かせてるのよ」

ひどいわ、と言いたげな口調に「大変ですね」と他人行儀な返事をしたわたしは、理解がない家族であればそうなるだろう、と考えながら返事をした。胃のあたりがざわつく。

「つるこちゃん、弟くんは何かあったの?」

「昨日の夜、父が少し荒れてたので余波をくらったのかと」

「そう…彼には落ち着いたら連絡くださいって伝えてもらえる?」

「はい」

先生の目を、見なかった。

 

それからのわたしは、順調にメンタルを崩していき習い事を辞めた。先生のことはまだしも、習い事の内容は嫌いになりたくなかった。

先生と面と向かって話す気にはなれず、仕事帰りに電話でそのことを告げた。なにかを察したであろう先生は、数十分の話の末「わかったわ」と優しい声で返事をくれた。

無神経な善意かどうか分からないくらい頭がぐらぐらしていた。

 

習い事を辞め、コロナが流行し、崩れたメンタルをギリギリで回避すべくわたしは会社を休み、そのまま辞める形となった。

 

今となってAさんが薬で元気がない理由がわかる気がした。脳のバグ、とでも言うべきだろうか、それを抑えているのだから今までのテンションではなくなる。それを元気がないと言うならそうだなあ、と思う。

薬は最低限飲めば生活が楽になる。現にわたしは今、生活が楽だ。いいサポートをして貰ってる。サポートして貰う量ならいいのだ。

薬を飲むのは悪くない。ただ要領を守ろうね。

 

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と、まあ、ここまで何も考えずに吐き出したわけだけど、今思えば当時はまじでギリギリのメンタルしてたわ。

 

今でも先生や習い事の内容は嫌いじゃないけど、もうあの先生に乞うことはないんだろうなとおもった。

陽属性が強すぎて毎回終わってからネガティブ陰キャマインド爆発するからね。

なんか生気でも吸われてるんかってレベル。

 

人の相性って性格以外にもあるんだなって再確認できた。

 

長文おつでした。