脳死通院セットのすゝめ
早いもので2024年ですね
新年早々に大変なことが続いており、
震災の被害に遭われた皆様の復旧をお祈りしております
さて、今回はですね、通院時に忘れ物をしてパニックになったり変に落ち込んだりということが最近続いていたため、それの解決方法をちょっと考えてみた。
そんな感じです。
もう誰かがやってるような内容ですが、わたしは初めてなのでやります。
①"いつものセット"を作る
(専用の入れ物、バッグなどあればなおよし)
②見ていて楽な形でセット内容を可視化する
③出かけるときは丸ごとカバンに入れ、返ってきたら丸ごと出す
はい、よくある奴ですね。大人だろうが子供だろうがこれがあれば脳死通院が可能なわけです。(当社比)
わたしの場合はこんな風に書き出してみました。
『お大事に!通院セット』
タブレットで書いたものを印刷してクリアファイルに入れました。
文字だとわからない!という場合は写真に置き換えるとよいかと。
今の体調だと、文字が視認できない…滑る…わがんね…という時期を過ぎたので、それでできる事なのかもしれない…
心の病気って波があるので(体感)、低い位置に心があるとこういうのがほしいなって思うんですよね。
自分が安心できるような補助がいざというときに心強いというか…泣きながら『これで大丈夫ヴヴ』なんて確認もできると思います。
不安なときこそご安全に!
むかしばなし
今は昔のはなし。
今ならちょっと吐き出せるなって思った。
自分語り乙。
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昔、とある習い事をしていた。
それは幼稚園からズルズルと続けていて、気がついたら社会人になっても続いていた。
幸せな習い事ではない。ほぼ惰性と過去味わった楽しさへの執着で続けていたようなものだった。
安くない月謝、年々上がる会費、グレーゾーンで収入がほぼない弟の代わりに払う分、それに伴って趣味や友人交流との予算を削ること。
さらには当時、父が躁鬱状態で安定しなかったし、出勤時間帯が毎朝地獄のようで、少しずつ精神が蝕まれてきた頃だった。
わたしが発表会でちょこっと話す程度の仲のAさんが精神安定剤を飲み始めた、と先生が言った。
わたしは最初、半分程度に聞いていた。もともとAさんは落ち着きがなくて、おそらくうちの弟みたいにグレーゾーンなのかな、と思っていたからだ。
先生は「薬で強制的に云々……で、Aさんの元気がないのよ」と、その日を境に2週間に1回は話してきた。他の日は当時一緒にやってた弟のやっちまった話で、常に申し訳なさとジレンマを抱えていた。そこにAさんの話が加わったのだ。
その日から、先生はわたしに【薬は悪だ】とでも言うようなほどその話をしてきた。
薬は全て悪いわけではない。わかっているが、そのとき、まだギリギリを保っていたわたしはその話が苦痛でならなかった。
薬による豹変ぶり、他人に聞かれたくないだろう家族の話がAさんの気づかないうちにわたしへ流れてきた。きつかった。一生懸命生活しているAさんを、まるで悲劇の登場人物のように語るその声が。
(豹変といっても、今までのせわしない口調やパニックになりやすいタイプだったのが、沈静化したということだし)
エゴで心のそこから心配してる恐ろしい「無神経な善意」は、わたしの心を蝕んでいくのにそう時間はかからなかった。
「ご両親は通院代は自分で出しなさいって、Aさんを親戚の会社で働かせてるのよ」
ひどいわ、と言いたげな口調に「大変ですね」と他人行儀な返事をしたわたしは、理解がない家族であればそうなるだろう、と考えながら返事をした。胃のあたりがざわつく。
「つるこちゃん、弟くんは何かあったの?」
「昨日の夜、父が少し荒れてたので余波をくらったのかと」
「そう…彼には落ち着いたら連絡くださいって伝えてもらえる?」
「はい」
先生の目を、見なかった。
それからのわたしは、順調にメンタルを崩していき習い事を辞めた。先生のことはまだしも、習い事の内容は嫌いになりたくなかった。
先生と面と向かって話す気にはなれず、仕事帰りに電話でそのことを告げた。なにかを察したであろう先生は、数十分の話の末「わかったわ」と優しい声で返事をくれた。
無神経な善意かどうか分からないくらい頭がぐらぐらしていた。
習い事を辞め、コロナが流行し、崩れたメンタルをギリギリで回避すべくわたしは会社を休み、そのまま辞める形となった。
今となってAさんが薬で元気がない理由がわかる気がした。脳のバグ、とでも言うべきだろうか、それを抑えているのだから今までのテンションではなくなる。それを元気がないと言うならそうだなあ、と思う。
薬は最低限飲めば生活が楽になる。現にわたしは今、生活が楽だ。いいサポートをして貰ってる。サポートして貰う量ならいいのだ。
薬を飲むのは悪くない。ただ要領を守ろうね。
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と、まあ、ここまで何も考えずに吐き出したわけだけど、今思えば当時はまじでギリギリのメンタルしてたわ。
今でも先生や習い事の内容は嫌いじゃないけど、もうあの先生に乞うことはないんだろうなとおもった。
陽属性が強すぎて毎回終わってからネガティブ陰キャマインド爆発するからね。
なんか生気でも吸われてるんかってレベル。
人の相性って性格以外にもあるんだなって再確認できた。
長文おつでした。
こいつまたブログのタイトル変えたな2023
気がつけば2023年、ブログも良い感じに放置して春がやって参りました。
今年もよろしくお願いします。
さて近況。
■フリーター記念日
年明け前、無事に退職してフリーターになりました。
今は求職活動とクリニックのデイケアに通って改めて人間社会に慣れようとしています。
ハロワに行くときはいつも緊張してしんどいけど、デイケアは楽しい。
■トラディスカンチア様がみてる
観葉植物のトラディスカンチアをお迎えしました。水耕栽培が可能で、無限に増える。そんな印象の植物です。
観葉植物はメンタルにいいらしい…くらいの気持ちで、
①気楽に楽しく
②初心者でもいける
③年間の寒暖差が激しいわたしの部屋でも育つ強い子
選んできました。
今もゆっくり成長中で、今後の増殖に期待。
と、最近はこんな感じです。
朝ごはん探訪、いいのがあったのでそのうち記事にします。
さてまた次回。
朝ごはん探訪記 食事と悩み編
※お察しください※
個人の感想です
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どうも、つるこです。
タイトル通り朝ごはんの話、前日譚です。
最近、ふとした瞬間、朝ごはんに悩み始めました。
原因はふたつ、
①休職し始める前のメニューを精神的に拒否し始めたこと
②復職支援センターに通うようになって朝ごはんを食べてみようかな、という思いつき
きっかけになったのは支援センターでの講座で朝ごはんの話を聞いてから。
食欲あるけど何を食べたらいいのかわからなかったし、栄養的に理想的な朝ごはんも正直めんどうくさい…
じゃあ、なにを優先したら朝ごはんを食べたいって思えるんだろう。
原因をもとに自分に出来ることを考えてみた。
①手っ取り早くメニューを変える
②とりあえず食べる習慣をつけてみる
+α 何を優先したら食べたいと思えるか
+αはすでに答えが出ていた。
「片手で楽に食べられるもの」
コンビニで売ってるものならサンドイッチやおにぎりだ。小さめのバーガーやトーストなんかでもいい。
とにかく片手で食べられるのが良かった。
①については、以前と真逆に考えた。
↓
<固め・濃いめの洋風>
②についてはもう慣れしかない、気がする。
しかし無理して毎日食べる必要はないので、食べたくない日はとりあえず水分で誤魔化していく。
これで今、自分が求めている朝ごはんの理想像が見えてきた。
「洋風で片手でサックリ食べられる楽ちん朝ごはん」
呪文にするなら、カタメコイメラクマシマシ。
これなら休職以前の朝食に対する複雑な気持ちも少しは紛れるだろう。
そして、私の朝ごはんを楽においしく食べられるかの旅が今、はじまった。
古今、エネルギー切れの夜
エネルギーがぶっつりと切れた。
前提として、わたしは実家暮らしだ。
長年過ごしてきたこの部屋を思いっきり変えよう!と計画を立てたのは昨年末。
そしてついにその時がきた。のがこの間。
この1週間で木製のクソ重タンスとクソ重デスクを手放し、そこから始まる大掃除。その勢いのまま翌日には社会復帰のためのリワークセンターに行ってきた。帰宅後はPCの配線も。
アドレナリンはドバドバ。腰はちょっと危なかった。
それでも、わたしは頑張ったのだからオールオッケー!とか思ったり。
そして3月4日の夜、わたしのエネルギーはきれた。
いわゆる、赤ちゃんの眠いけど元気で眠れないからグズる、の大人版になってしまった。
余談だがわたしはグズらなかったタイプである。そのかわり中々寝付かない。
それなのに成人してからとは、おお つるこよ 情けない。
1時間ほど親に程よく放置され、わたしも満足するまでグズって風呂に入ってから気づいた。
……もしかして、わたし今体力だけゼロ?
そりゃそうだ。仕事を休み始めてからの運動量、精神力の負荷は減っている。
ましてや運動量なんぞ、成人してからは自動的に減っていくシステムなのが人間だ。
妙に納得してしまった。だけどエネルギー切れは続く。
そして今。
こうやってスマホで打ち込んでいるのだが、正直、なにもやる気が出ない。
というか全部どうでもいいや、みたいな投げやりな気持ちがちょっとある。
……もしかして、わたし今精神力もゼロ?
つまりドラクエならHP:0、MP:0。
いやいや棺桶に入って運搬されてるじゃん。
教会までズルズル引きずられるやつじゃん。
現実だと布団に入ったまま。思ったより広くなったと錯覚する部屋を背景に指先しか動かせない。
でもこれには覚えがある。仕事休み始めたころの虚無ボディだ。
ただひとつだけ違うとすれば、精神は変に落ち込んでいないということだ。
多分薬で成分ドバドバさせてるのもあるんだろうけど、開き直った状態に近い。
明日日曜日だし〜〜〜こんなご時世でさ〜〜〜予定もクソもないしさ〜〜〜いいんじゃないかな〜〜虚無感と添い寝してもさ〜〜〜
薬を飲む前だったら確実に、自分はダメ人間でどうして身体が動かなくてしんどくって対処できないし、しにたい、のワンセットがあった。
今はそれすら懐かしい。
(時々最後の4文字の感情が出てくるけど、それは元気がある時にまたブログにしようと思う)
エネルギーが切れた夜だけでこんなにも気分が違うのか、とちょっと安心した。
夜が少しだけ生きやすくなった気がする。